『仏法上』統合失調症(心の病)の希望の見つけ方。
おはようございます^^
今日は、どんな事を書こうかと考えたのですが、
仏法上での、統合失調症(心の病)の希望の見つけ方
を書いていこうと思います。
そもそも論を言わせてもらえば、統合失調症(心の病)は
業病ともいい、とても治りにくい病でもあるのです。
では、業病とは何か。簡単に言えば、医者がどうしても治すことのできない
病の事を言うのです。
戸田先生は、戸田城聖全集でこの業病の事を「本人の嘆きはもちろんの事
家族の嘆きは、筆舌につくしえない。」と仰っておられます。
それには、一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の曼陀羅
御本尊これを、どこまでも信じ、信力 行力 法力 仏力
「日蓮が魂を炭に染め流して書きて候ぞ」の大御本尊を信じ、
行学に努めぬること。
「病気の起る因縁を明かすに六有り、
一には四大順(しだいじゅん)ならざる故に病む
二には飲食節(おんじきせつ)ならざる故に病む
三には、坐禅調(ざぜんととの)わざる故に病む
四には、鬼便(きたよ)りを得(え)る
五には魔の所為(しょい)
六には業の起るが故に病む」 と
一 二 三 これは医者でも治る病気である。
四 五 六 は、医者では治らない病であるが
四 五 は幾分臨みなしことはない
いかんともすることの出来ぬのが 六 の業病(ごうびょう)である
児マヒ 精神病 脳水症(福助頭)等々である。
これらは、誠に辛く、厳しい病でもある。
しかし、ここからは私の仮説になるが、
ただただ、信行学に努めぬれば、その病は完全には治らないかも知れない
しかし、心は本当に救われていき、絶対的な幸福境涯になれるはずである。
ここで、教学(きょうがく)を知らない、方たちに、説明するが
幸福には、絶対的幸福境涯と相対的幸福境涯がある。
では、その違いは何か?
簡単に言えば、すぐに消えてなくなってしまうのが、
相対的幸福境涯であり、
絶対的な幸福境涯は、どんな事があっても、ゆるぎなく
幸福にしてもらえる。
それが、この信仰の凄いところである。
メンタルカテゴリーに比重を移してから、
病気の事に関しては、自分の実体験をもとに
書いてきましたが、以下で分かるように、
統合失調症は、業病、仏法上でも、
非常に治りにくい、病でも、あるのです。
この宇宙は、ある法則によって動いています。
宇宙だけではありません。地球 大自然界
海 山 大地。そして生きとし生けるもの
神羅万象すべて。
その法則こそが、南無妙法蓮華経なのです。
その法則を見つけ出したのは、今から2千5、6百年前の釈迦です。
そして、その法則を教えるために、一度方便(うそ)で入滅されます。
それが、衆生昇格。と言います、そして、その後の久遠実成で、
生命は、永遠に成長をしていきながら、生きていく。という事を教えられました。
つまり、この生きている生命の流れ場
大きな生命の流れのうちの一瞬なのです。
そして、その一瞬一瞬が積み重なって、生命は成長するのです。
この病になった、私の生命も、その永遠の流れの中の一瞬。
そして、その一瞬に精一杯の努力をするから、生命は輝きを増し
美しく、成長していき、その生涯の命を終えると、また再び
生を受ける順番を待つべく、大宇宙へと帰って行く。
それが、永遠の生命の流れの大母体、宇宙生命なのです。
そして、その宇宙生命自体も、南無妙法蓮華経の法則で出来ています。
そんな、業を持ったもの(我々)でも、永遠の生命の流れの中で
その病と闘うことで、成長できるのです。
ではでは。<(_ _)>
疲れました。<(_ _)>^^;
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