統合失調症タカちゃんのブログ『創価学会と共に』そして主義主張!

『人間を励ます男のブログ』希望を掴もう!

精神障害者の本当の苦悩。

こんばんは^^

今日の用事は、完全に終わりました。^^

はてさて、今回話すのは、私の実体験をもとに、

本当に心が回復するまでの、苦悩の苦しみについて

少し、愚痴っぽくなるかも分かりませんが、書きたいと思います。

 

皆さん。病気になったとき、死にたいくらい辛い目にあった方も

いらっしゃると思います。

 

しかし、その死にたさが、ずっと消えなかったら?

何年も何年も続いたら?

 

そういった、体験をした方は、少ないと思います。

私の場合、死にたいと思った時期は少なかったのですが

死のうと本当に死を考えた時と、これまでの、絶望の日々を

書きたいと思います。

 

私は、高校を卒業した後、本当は行けるならば専門学校に

生きたかったのですが、家の事情でそこまでは行けず

アルバイトで職を転々としながら、最終的にある酒屋さんに

配送の仕事として、行かせていただきました。

しかし、その時に私が卒業した次の年に、日本での

山内証券が、倒産しそこからアジア金融危機に陥って行ったのです。

 

働き始めて、2年目の事でした。そんな事とは知らず

私は、その時は一生懸命一日も休まずに働いていました。

しかし、そんな小さな酒屋さんでも、一人を解雇しなければ

いけなかったのでしょう。私は解雇対象になり、仕事を辞めざる得ませんでした。

しかし、面接を受けども受けども、採用にはならない。。。

弱った私は、お金がもらえるなら、何でも良いと思い、

バイク便に入ったのです。その場所であのような苛めに合うとは

思っていませんでした。

 

そのバイク便で、いかに私が役に立っていないかを親切丁寧に

教えていただき、その頃から、私は心の病を患いました。

しかし、その時は心の障害なんて考えてもみませんでした。

その他の、色んな仕事についても、その時の傷が、深く心に残っていました。

 

私が、自分がおかしいと思いだしたのが、そのバイク便を辞めてから数年後、

父母としばらく一緒に暮らすとなってからです。

夜中になると、必ず壁を殴る行為は、どうしても止めることが出来ず

私は、自分の精神がどうにかなっていると考え、自ら精神科へ、出向きました。

 

そこでは、症状を言うと、先生が考えてえ薬を出す、そして何の病気かも言われぬまま

の薬を飲んでいました。

 

しかし、何時まで経っても、症状が回復しない?私はそれでも言ってましたが、

一度だけ、父と母に、その頃からもう薬の症状が始まっていたのですが

体がしんどいから、病院に代わりに言ってくれと頼んだのです。

 

その時に、母は私が「統合失調症」だという事を聞いたと

言っていました。その時からです。出される薬が大きく変わり

その時から、自立支援が私に適応され、その結果、働けなくなりました。

どういう意味かと言いますと、その薬の影響で体が、思わぬくらいに

体力を奪われ、仕事が出来なくなったのです。

 

それに、薬漬(ず)けの生活は実際に自分の中にある自信すらも無くさせ

そして、性格すらも怖がりの引っ込み思案に変わりました。

 

それから、私は死にたいという気持ちは無くなりましたが、

人生の絶望感を感じながら、その時で大体28歳9歳でしたから、

その時の自分の考え方は、「早く今の人生の最後を迎えたいそして来世で輝く」

と言った、本当にバカバカしい、理念が心に深く刻み込まれてきました。

 

その理念が無くなったのは、42歳の時、法華経とはという事を教えてくれた

その、私の今の親友でした。。。

 

その親友のお陰で、今は心から楽しく、生きることが出来てます。

その、きっかけとなったのは、やはりお題目であり、その後に見つかる

脳科学から見た、祈り」という創価学会の本でした。^^

 

これがきっかけで、私は心から、創価学会の事を信じれるようになりました。

まぁ、たまに学会不振にもなりますが。。。

でも、今では心が解き放たれているようです。^^

 

しかし、精神障碍者の方の、福祉の切り上げは、酷いものがあり

これは、これからも強く訴えていきます。<(_ _)>

 

ではでは。これにて失礼します。<(_ _)>^^